安房守日(真田豪语录)

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补充 福岛正则改易之伊奈图书之首

补充 福岛正则改易之伊奈图书之首

偶然看到的,小故事而已~~~先去接儿子,抽空弄上来吧,先留个坑,看看有几个人掉下来~~~
色即是空,空即是色。

如果做不到,就做一个低调、蛋定、靠谱、牛逼的人吧。

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伊奈图书之首


关原之战德川家康取得胜利之后,福岛正则率军追击败走的敌人,向京都进军。到达草津之后,正则与池田辉政、浅野幸长作为先遣队进入京都,受命守卫御所,维持京都的安定。

正则将本阵移往山科,让嫡子正之率领士卒三百人留在京都,并命令家臣佐久间加右卫门负责正之与自己之间的联络。

佐久间加右卫门携带正则给正之的书信经过三条大桥时,家康的旗本、曾经作为特使被家康派往东北确认上杉景胜是否反叛的伊奈图书(伊奈昭纲,通称根之助)正好在此负责警备,阻止了加右卫门通过。准备强行通过的加右卫门最终被担任警备的足轻所阻止,未能如愿。

佐久间加右卫门赶回山科向正则报告,说道:“遭受这样的耻辱,身为武士颜面尽失,请准许我切腹。伊奈图书之仇请君定夺。”

正则被激怒了,亲自担任佐久间加右卫门切腹的介错,事后将佐久间加右卫门的首级送到井伊直政那里,提出取得伊奈图书首级的要求。直政大吃一惊,这可是关原取胜以来发生的大事,不敢怠慢的直政只得向家康汇报。对此也感到有些不可思议的家康提出:“就把阻止佐久间加右卫门的足轻首级给正则送去吧。”也许在家康看来,因为这么点小事就要自己痛斩心腹爱将实在莫名其妙。然而,正则却固执的一步也不肯让,完全不给家康下台的台阶,坚决要求取得伊奈图书首级,直政无论怎么劝说也没有效果。最终,家康终于还是将伊奈图书的首级砍下,送给了正则。

毫无疑问,这次事件表面看来以福岛正则的胜利与满足收场,而在以隐忍出名的德川家康心中,却种下了不满和怀恨的种子。事实上,在后来福岛正则被改易之时,这件事也成了违规修筑城池之外的另一罪状,虽然此时家康已经作古。讽刺的是,此时的正则已经全然没有了当年的勇气,而是表现得非常恭顺。也许,时间真的可以改变很多事情,包括曾经那么勇敢的人。
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福岛正之与满天姬


福岛正则的嫡子正之,其实是正则的姐姐与别所重宗所生的儿子,作为养子而成为了嫡子。德川家康为了拉拢正则,就把养女满天姬嫁给了正之作为其正室(满天姬其实是松平康元的女儿)。

按常理,正之作为嫡子,在正则死后将顺理成章的继承家业,这样一来福岛家无疑将成为德川系的铁杆一员。然而人算不如天算,谁也没想到正则偏偏生下了自己的儿子正胜。作为父亲,正则也不能例外的偏向自己的亲子,将嗣子之名分转给了正胜,被激怒的正之密谋暗杀正则取而代之,但阴谋败露,正之被正则软禁而死去,满天姬则带着与正之所生的儿子直秀返回了德川家。正则给予德川家的答复是正之发狂而死,可以想象,满天姬不可能对此不知情,也不可能不怀恨在心,去向家康汇报,正则未免太天真了呀。
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那时候的人真是轻死重义

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有勇无谋之人到了和平年代就吃不开了
又要忠,又要孝,又要风流,乃为真豪杰;
不爱财,不爱酒,不爱夫人,是个老头陀。

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正则有点象三姓家奴吧
问君能有几多愁,恰似一江春水向东流。

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在新主子面前不能太软,太软了新主子的老奴才就敢欺负;在新主子面前不能太硬,太硬了新主子直接会找借口把你连锅端。
正则嫡子谋反的故事简直就是秀次故事的翻版。

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家康时代的关东郡代伊奈氏,是小室藩主伊奈备前守忠次啊。忠次一直活到庆长十五年(1610),八年后其子忠治继任关东郡代,SO庆长三年没有这位关东郡代伊奈图书出场的余地。
文园渴甚兼贫甚,只典征裘不典琴。
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那就是主公误导……
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这两天儿子发高烧在家照顾,没空上来~~~~觉迷说的不错,这个伊奈图书名叫伊奈昭纲,至于说他是关东郡代是日文资料原文如此,具体情况搜索能力好的同志不妨再查查看~~~

家康の旗本で関東郡代を務める伊奈図書が警備を固めていて、佐久間を通してくれない。
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觉迷的说法也有可议之处,伊奈昭纲死时忠次已是拜领武藏小室、鸿巢一万三千石的谱代重臣了,并非因为昭纲一系断绝才轮到忠次出头。
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伊奈忠次与伊奈昭纲关系图:
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嗯,既然不确定还是先改改吧,就把关东郡代去掉,换成“家康的旗本、曾经作为特使被家康派往东北确认上杉景胜是否反叛的伊奈图书(伊奈昭纲,通称根之助)正好在此负责警备~”~~~这样至少不会有错~~~
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伊奈 昭綱(いな あきつな、生年不詳 - 慶長5年(1600年))は、安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣。通称は根之助。一般には、百官名の伊奈図書(いな ずしょ)の名で知られる。

伊奈昭忠の次男で、嗣子のない兄・昭応の養子となって家督を相続する。天正18年(1590年)の小田原の役に従軍し、家康の関東入国とともに2500石を与えられる。慶長5年の上杉景勝征伐に際しては、景勝の反逆を確認する検分使として東北に派遣された他、関ヶ原の戦い直後には山城国日岡の関を守衛し、京の治安維持にあたった。

福島家との紛争と死
昭綱が日岡の守衛をしていた際、安芸広島城主の福島正則が、家老の佐久間嘉右衛門を伏見城の家康のもとへ使者として派遣した。だが、関の守衛であった昭綱の家人は佐久間が通行証をもっていなかったことを理由に通過を認めなかったのである。佐久間は広島に戻るや否や主君にこの理不尽さを訴え、面目を失ったとして自害して果てた。家康を牽制する必要もあって正則は佐久間の首を家康に送り付け、代償として関所の責任者である昭綱の切腹を要求した。家康は昭綱に命じて佐久間を追い返した家人を処刑させてその首を届けさせたものの、正則は当初の要求を取り下げなかった。仕方なく家康は昭綱を切腹させ、その首を差し出すことで解決をみたという。この事件は、後の元和5年(1619年)に幕府が正則を改易する遠因となったとも言われている。
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伊奈 忠次(いな ただつぐ)は、江戸時代初期の代官。

幼名は熊蔵。三河国幡豆郡小島城(現在の愛知県西尾市小島町)主の伊奈忠家の嫡男(祖父とされる伊奈忠基の末子との説もあり)。子に忠政、忠治、忠武、忠公、忠雪、長直、忠氏、内藤織部正正成室、宮田主馬室、向井忠宗室。備前守。初代武蔵国小室藩主。官位は備前守。

略歴
伊奈氏はもともと信濃国伊奈郡(伊那郡)の出自であると伝えられる。忠次の祖父忠基のころに徳川家康の父松平広忠に従い、三河譜代の家臣として活躍した家系である。永禄6年(1563年)父忠家の代に三河一向一揆に加わるなどして出奔、天正3年(1575年)の長篠の戦いに陣借りをして従軍して功を立て、ようやく帰参することができた。だが家康の嫡男であった信康の家臣に父忠家と共につけられるものの、その信康が武田氏との内通の罪により自刃させられてしまうと、再び出奔することとなってしまい、和泉国堺に在した。

天正10年(1582年)に本能寺の変が勃発し、堺を遊覧中であった家康を本国へと脱出させた「伊賀越え」に小栗吉忠らと共に貢献する。この功により再び帰参が許され、父忠家の旧領小島を与えられた。また三遠奉行の一人として検地などの代官であった吉忠の同心となり、後、吉忠の跡を継ぐ形で代官衆の筆頭になる。以後駿・遠・三の奉行職として活躍、豊臣秀吉による小田原征伐や朝鮮の役では大軍を動かすための小荷駄による兵粮の輸送、街路整備などを一手に担い、代官としての地位を固めた。

家康が江戸に移封されたのちは関東代官頭として大久保長安、彦坂元正、長谷川長綱らと共に家康の関東支配に貢献し、61歳で没した。墓所は埼玉県鴻巣市の勝願寺。

忠次の功績
武蔵国足立郡小室(現埼玉県北足立郡伊奈町小室)および鴻巣において一万石を与えられ、関東を中心に各地で検地、新田開発、河川改修を行った。利根川や荒川の付け替え普請、知行割、寺社政策など江戸幕府の財政基盤の確立に寄与しその業績は計り知れない。関東各地に残る備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防はいずれも忠次の官位「備前守」に由来している。また、伊奈町大字小室字丸山に伊奈屋敷跡がある

諸国からの水運を計り、江戸の繁栄をもたらした忠次は、武士や町民たちはもとより、農民に炭焼き、養蚕、製塩などをすすめ、桑、麻、楮などの栽培方法を伝えて広めたため、農民たちからも神仏のように敬われていたという。伊奈町は忠次が町名の由来である。子の忠治は茨城県筑波郡伊奈町(現在のつくばみらい市伊奈地区)の町名の由来となっており、親子2代で地名の由来となっている。

伊奈町音頭は「ハァ~伊奈の殿様忠次公の(ヤサヨイヤサ)」と歌い出される。
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从上文可见,昭纲在关东入国时期只是两千五百石的旗本,最多算是德川手里比较有面子的亲信吧;而忠次则与大久保长安等三人共任关东代官,而且是小室藩主,所领过万,地位不一样的。
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佐久间加右卫门两百石的身家拼掉伊奈昭纲两千五百石,够面子了。

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是啊,而且还拼的是一个家康的亲信旗本。
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不过,佐久间作为福岛的家老,难道只有二百石知行?
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貌似不是家老,不过是个普通的家臣,福岛家真正的家老能拿到5000石。

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