集計結果 武力 60
政治力 44
魅力 60
野望 36
名前
後藤又兵衛
年代
不明
武将列伝
黒田氏に仕え、乱世の申し子のように孝高・長政父子に従って各地を転戦、なかでも朝鮮の役における晋州城一番乗りは、黒田家随一の勇者として広くその名を印象づけた。関ヶ原役の合渡川の武勲も、さらに又兵衛の武名を高めた。長政が関ヶ原役の功で筑前五十二万石を領すと、又兵衛もそれまでの軍功で筑前小隈の地に一万六千石を得る身となった。その頃から又兵衛は長政と不和になる。乱世を出世の活力にした又兵衛と近世大名としての治世をめざす長政は、意見を異にした。孝高に重用された又兵衛は、長政にとって師であると同時に邪魔な存在であった。孝高の死後又兵衛は長政の許を去り、各地を浪々ののち、豊臣・徳川の手切れでようやく死に場所にありついた。大坂五人衆の一人として、夏の陣の道明寺の激戦で華々しい最期を遂げた。