re:当時、この地域は天台・真言...
当時、この地域は天台・真言の二宗を中心としていたが、これにより多くの寺が改宗させられ、上総法華10ケ寺とよばれる中心寺の基礎はこの時できた。
これが「皆法華」「七里法華」などとよばれるものである。
当時の日蓮宗は京都をはじめ各地へその勢力を伸ばしている時期であり、酒井氏の領民統治の思惑と日蓮宗の地方への教腺拡張の動きとが合致したところに「七里法華」が生まれたものと云われている。
「七里法華」と対比されるものに西の備前法華と呼ばれるものがある。これは備前松田氏によって行われた領内の改宗である。それは「改宗に従いざる寺は焼き払う」という妥協のないものだったという。
姉崎地区にも妙経寺を始めとする多くの「顕本法華宗」の寺が現存するが、この「七里法華」の影響が大きいと思われる。