我也来做着玩玩看
結城晴朝
1534~1614
結城氏は秀郷流藤原氏の一族小山氏の同族で、鎌倉初期以来下総結城郡を支配した家柄。晴朝は小山高朝(結城政朝の子、政長の養子)の次男で、叔父政勝の養子となる。政勝は常陸小田氏治攻略のため、北条氏康と結んだ。晴朝は先陣となって小田城を攻め落とした。永禄二年(一五五九)、家督を継いだ晴朝は、氏治の反撃を破って北条城を奪った。同四年上杉謙信の関東進攻を契機に、晴朝は後北条・上杉両氏の狭間にあって動揺をくり返した。天正六年、謙信の死後、宇都宮・佐竹・那須の諸氏と後北条氏に対抗。同十一年、晴朝は豊臣秀吉に通じ、同十五年多賀谷重経を通じて秀吉から「関東惣無事令」を伝えられた。同十八年、秀吉の小田原攻略に呼応し、五月後北条方の小山.榎本両城を落とし、二十四日秀吉おしに謁見、武蔵忍城攻めに加わる。小田原落城後、秀吉の養子羽柴秀康(徳川家康の次男)を結城家に迎え、晴朝は隠居した。慶長六年秀康の越前転封に従い、北庄(福井市)で八十一歳の生涯を閉じた。
附件: 您所在的用户组无法下载或查看附件