安房守日(真田豪语录)

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到蒸汽车上试着感受了一下。到处布满了铁钉。跑起来像飞一样。这是通过燃烧极佳的酒精才能开动的车。从莫斯科到圣彼得堡,280里(1120公里),就算载着500人,几辆车拉在一起的话,只要一天就到了
What do we need  where do we go When we get where we don‘t know

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匪村  乃太强大
另:现在时兴对比  放到三国  偶最起码也素简雍那样的人物啊
吉泽满塞................................................................................................................................................................................................
统7   智8   政3      初始兵力:5083     持续动员中   收入:24723   技能:突击

 

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引用:
原帖由 绯村明月 于 2009-6-10 10:28 发表
到蒸汽车上试着感受了一下。到处布满了铁钉。跑起来像飞一样。这是通过燃烧极佳的酒精才能开动的车。从莫斯科到圣彼得堡,280里(1120公里),就算载着500人,几辆车拉在一起的话,只要一天就到了
等下,我修改一下,这回绯村公再看看

[ 本帖最后由 五藤高庆 于 2009-6-10 10:42 编辑 ]

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是不是 “笔者注” 他们说到蒸汽车上试着感受了一下。到处布满了铁钉。跑起来像飞一样。这是通过燃烧极佳的酒精才能开动的车。从莫斯科到圣彼得堡,280里(1120公里),就算载着500人,几辆车拉在一起的话,只要一天就到了

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(他们)到蒸汽车上试着感受了一下。到处布满了铁钉。跑起来像飞一样。应该是通过燃烧极佳的酒精才能开动的车。从莫斯科到圣彼得堡,280里(1120公里),就算载着500人,几辆车拉在一起的话,据说只要一天就到了
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多谢

大意请帮忙看一下这些是什么东西?

モーズレー式足踏旋盤

原始的な手回し轆轤(ろくろ)と、もみ鑚

[ 本帖最后由 五藤高庆 于 2009-6-11 09:24 编辑 ]

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http://www.h5.dion.ne.jp/~s1868/0015.htm

Henry Maudslay式脚踏车床

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那么这个是什么钻?

原始的な手回し轆轤(ろくろ)と、もみ鑚

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就是手动滑轮和锥子。
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文章就要完成了,还有一点内容,请问这个怎么翻译

 「当地にては薩長土の三藩を恐れるけど、三藩の武器は精良を欠く、今回佐賀藩士七〇名、足軽八五人を連れ来るのみなれど、もし三藩と勝負すべく仰せつけらるうならば足軽の銃隊半数の四〇名にてこれを打ち伏せてご覧に入れん」

[ 本帖最后由 五藤高庆 于 2009-6-17 08:46 编辑 ]

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请问这个怎么翻译谢谢

だが、1883年頃から政府の圧力が強まり、加えて自由党の板垣退助の洋行問題を巡る疑惑追及を行うと、逆に自由党側からも前島や尾崎・犬養と関係が強く同党の機関紙となっていた郵便報知新聞などが政府の資金を受けているとの疑惑が出されて[要出典] 岩崎弥太郎を海坊主になぞらえた[1]「海坊主退治」キャンペーンが繰り広げられたことから、泥仕合となった。

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但是,1883年前后,随着来自政府的压力的不断加大以及追查自由党板垣退助的洋行问题的深入,却引出了与前岛、尾崎、犬养等人有密切关系的已然成为自由党党报的《邮便(邮政)报知新闻》从政府处获得资金的疑点。一时间,岩崎弥太郎成了不祥人,“打倒不祥人”的活动声势逐渐增强,演变成了相互揭短的局面

海坊主 的解释是否为 不祥人 不确定,但总的意思差不多。

[ 本帖最后由 绯村明月 于 2009-8-18 04:57 编辑 ]
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海坊主看了解释,应该是日本神话里的一种光头大海怪

另外对下文求翻译,我这样劳烦诸君实在抱歉。跪拜,诚谢

 「この学校は決して一人のものではない。国のものである。社会のものである。・・・私の従来の希望は少し大胆な企てのようであるが、どうもこの学問の独立をみたいということである。・・・大学でまでならずとも、大学に近い、・・・あるいは大学となるかしらぬが、学科をだんだん増やしていくということになったならば、私の充分満足するところ、また社会に対しても非常の面目、またこの学校の校友あるいは学生諸君においてもはなはだ栄誉とするところである。」

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海坊主的书面意思当然在哪都能查得到。
主要是引申含义。。
总不能说“岩崎弥太郎成了光头大海怪”。。。啥意思?谁知道?

这所学校绝非一人之物,乃为国家所有。为社会所有。。。。虽然我的设想多少有些大胆,但是无论如何我都希望这门“学问”独立开来。。。。就算不能成为大学,至少也不能差得太远。。。。能不能新设为大学先放在一边,只要漫漫的增设学科,不光我会感到非常满意,对社会的贡献,以及诸校友,诸位同学也会感到荣耀。

学问 一词 词义不确定
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引用:
原帖由 绯村明月 于 2009-8-21 00:44 发表
海坊主的书面意思当然在哪都能查得到。
主要是引申含义。。
总不能说“岩崎弥太郎成了光头大海怪”。。。啥意思?谁知道?

这所学校绝非一人之物,乃为国家所有。为社会所有。。。。虽然我的设想多少有些大胆, ...
因为岩崎弥太郎是靠海运起家的,又是财阀巨头,所以他的对手起了这么一绰号挪揄他而已。

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应该不译,然后注释解释。

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准备新文好交租。可是又出来个问题。不知道可不可以给看一下?文中那几个荷兰人名都很头疼

重豪は、20歳の頃より、オランダ語やオランダ文物に興味を持ち、歴代のオランダ商館長と親しく交際し、チチング、ズーフ、ブロムホフとは度々書信を交換した。特にシーボルトとの交際は、シーボルトの『江戸参府紀行』に4回に亙って、記録されている。

还有这一段

百姓は籾高1石につき4斗1合の租米だったから8公2民の割であったが、実は5斗近くも収奪されたので、農民常食は米1、唐芋5、粟3、麦・ソバ1という悲惨な状態が一般的だった。

[ 本帖最后由 五藤高庆 于 2009-12-29 04:13 编辑 ]

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重豪从20岁左右开始对荷兰语及荷兰文物发生兴趣,同历代的荷兰商馆长都有深交,同Isaac Titsingh、Hendrik Doeff、Jan Cock Blomhoff等人经常有书信来往,特别是同Philipp Franz von Siebold的交往,被4次记录在Philipp Franz von Siebold所著《江户参府纪行》中

回国刚回日本。才看到。。
不知道是不是晚了。。。
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引用:
原帖由 绯村明月 于 2010-1-14 18:24 发表
重豪从20岁左右开始对荷兰语及荷兰文物发生兴趣,同历代的荷兰商馆长都有深交,同Isaac Titsingh、Hendrik Doeff、Jan Cock Blomhoff等人经常有书信来往,特别是同Philipp Franz von Siebold的交往,被4次记录在Phil ...
没,不晚,我这个租子还没交呢。其实我更想知道的是下面这段

百姓は籾高1石につき4斗1合の租米だったから8公2民の割であったが、実は5斗近くも収奪されたので、農民常食は米1、唐芋5、粟3、麦・ソバ1という悲惨な状態が一般的だった。

这段理解起来很困难。大意是农民生活悲惨。但是里面有个问题
首先一石米收4斗1合,这也不是八公二民啊。而且他说近5斗,我理解是5斗被收走,可这也不是八公二民。一石米应该是10斗,这是四公六民或者五公五民的大善政啊。为什么又出来个八公二民呢?
其次是他说是米1地瓜5,这是什么单位啊,是米一把地瓜五个还是米一斗,地瓜5斗?
另外你刚回来,还没休息就过来给我解答,不胜惶恐

[ 本帖最后由 五藤高庆 于 2010-2-18 01:49 编辑 ]

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求以下这段话
日本では古来から砂鉄を用いた「たたら製鉄」による鉄(和鉄)の生産が行われていました。特に山陰地方のたたら製鉄による和鉄の供給は鋳砲事業に使用する鉄の確保に十分な量でしたが、実際に和鉄を鋳砲に使用してみると、うまく溶けず、また鋳造した大砲も脆く使用に耐えるものではありませんでした。大砲の鋳造には炭素含有量が4%程度の柔軟で溶けやすい銑鉄(鋳鉄)が大量に必要ですが、たたら製鉄による和鉄は、砂鉄を比較的低温で還元させるため、炭素の含有量が極めて少ない錬鉄であり、また不純物の除去が不十分で品質にばらつきがありました。そのため、和鉄を使用するためには、和鉄の精選を行い、「甑(こしき)炉」で溶かして鉄の性質を変えてから反射炉に使用していました。幕府や佐賀藩では和鉄が鋳砲に流用できると考えて熔鉱炉を建設していなかったため、鋳砲用の銑鉄の供給に支障をきたしたようで

[ 本帖最后由 五藤高庆 于 2010-3-17 10:34 编辑 ]

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